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ジプシー・キャラバン Comments (1)
ロマの財産は文化や歴史に育まれた逸品とは言い難いものだ。
彼等の受け継いだものとは、常に虐げられ迫害の果てに流浪し、その中で生まれた憤りと悲しみの結晶だからだ。
生き残るための叡智と誇りは、彼らの音楽そのものに宿り続けている。
「ジプシー・キャラバン」には、現在一線で活躍するロマの音楽家たちによる、北米ツアーのすべてが凝縮されている。
登場する各アーティストの源泉は、同じロマと言いつつも、全く違ったナショナリティである。
スペイン、ルーマニア、マケドニア、インドの各国にルーツを持つ。
その音色や形式、スタイルは、彼らの常住地の慣習によるところが大きい。
フラメンコのアントニオ・エル・ピパによる、アンダルシア地方の激しい舞いとガット・ギターの複雑な音色。
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスによる、ルーマニアの独自性を垣間見る一種変わった楽器編成。
まるでゴスペルのようにその声域の広さと感情移入で迫る、マケドニアのエスマに横たわる民族の悲しみ。
インドの砂漠民バンド、マハラジャは、旋法(ラーガ)への忠実さとそこから掻き立てられる計り知れない想像力と、世に2人しかいないといわれる特殊な膝ダンスを披露する。
特にジプシーブラスのファンファーレ・チョカリーアからは統一感と色彩の鮮やかさ、何より人間臭さを感じた。
移動先のホテルの廊下に、無造作に転がっているチューバやホルンのシルエットや疵にも、人間を感じずにいられない。
各々の音楽背景は、各々が仮の祖国から由来するものを今に再現しているといえよう。
ロマといえども、住めば都、という言葉が当てはまるのか?
ジプシー・キャラバンに登場するシーンには、熟成と修練の結果から掴みえた演奏形態とドラマがある。
それは他の民俗音楽にも表出する一種のお約束事ではあるが、悲しみと歓喜の力が圧倒的に浸透している。
群を抜いているのだ。
実のところ、しっかり根着いている。
音楽を通じての本質というのは、いろいろな物質へ乗り移る能力があるのだろうか?
やがて定住し安堵となり、豊かさへの材料となればいいのだが・・・
もしそうだとするならば、音楽で世界を変えるという幻想(誰が決めたのかは未だに知らない)、それはやがて可能な時を迎えると思う。