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マディソン郡の橋 Comments (20)
フランチェスカ( メリル・ストリープ )は遺体を火葬し、散骨すること、生前に記したノートを息子、娘が読むこと等を遺言していた。ストーリーはこの二人がノートを音読していく形式で展開する。
家族が4日間、家を開けることになり、フランチェスカは暇になるだけでなく、この異郷での
うつろな心に空しさを感じる。そこへカメラマンのロバート ( クリントン・イーストウッド ) がトラックで乗り入れて道を訪ねる。フランチェスカは丁寧に説明し、心ときめく。何の気兼ねもなくロバートのトラックに同乗し、屋根付き橋まで案内する。そこで享楽の時を過ごす。また彼を食事に家へ招く。少し無防備と思えるが、こういう事は60年代のアメリカでは普通にあったのであろう。自然の流れとして、親密度が加速して情事へと移行するのに時間はかからなかった。フランチェスカは自己のうちにうちに秘めていた " 女 " としての情欲に目覚める。肌と肌を触れあっていた二人は一線を超えてしまう。彼女は夫にない魅力に惹かれたのかもしれない。意見のすれ違いが一時あったにせよ、二人は分ちがたい仲になっていた。だがロバートが駆け落ちを促したが、彼女は家庭と家族を背に負っていることを知る故に、踏みとどまる。最後の日、ロバートは去る。家族が帰ってきたからとはいえ、彼女の心はロバートに就縛されたまま。フランチェスカの生涯で最も情念の炎に焼きつくされた4日間であったといえる。
夫と子供がいない間に、ふと訪れた男に欲情する。純愛を装っているが、こんなの日常に不満を抱く人妻の夢見物語だよね。それが証拠に男は女を一生一途に想い続ける。あるか!現実ならそんな男は単なる遊び人でしかない。
そう、決して人妻は悪者にはならず、私に満足しつつ死んでゆくのだ。ほぼ胸糞と言っていい(笑)
受け入れるのか!子供たち。私なら絶対墓場まで持っていけ、と怒るだろう。
なんとも哀れなのは生涯付き合わされた夫である。この夫も彼女に謝意を述べつつ死んでいくのだ。なんと女に都合のいい話。
これ見て夢を見ている人妻たちよ、忠告しておこう。鉄槌を食らうぞ!(笑)
イーストウッド、ちょっと歳行き過ぎ。メリルもちょっと大きすぎ。イーストウッド、これは自分以外を主演にして欲しかったかな。そんなにメリルがよかったか(笑)
この映画で一番心に残ったのはフランチェスカは教師時代の話をロバートにします。
「どの子も才能を秘めていたのよ、なのに私が才能を引き出すことができた子を私は素晴らしい子だと思ってしまったのね」というようなセリフです。
お酒の力もあって会話は弾み、イーストウッド演じるロバートは犬歯の後ろの歯までみえる笑顔になります。それをみつめて笑いかえすフランチェスカに私は生徒の話と同じことを感じました。
離婚で痛手を負った男性の家事を手伝おうとする姿や、写真集を出すべきというフランチェスカの言葉を約束のように実行するロバートがいじらしい。カメラのフィルムは冷蔵庫にしまうのに時計をしたまま行水をしたり、置手紙があってもシャッターチャンスを逃さないため写真を撮ってから読むというような、目的以外のことには無頓着になってしまう一面もあって完璧な男にはなっていないのもよかったです。町のレストランで、不倫をしてために住民からつらく当たられるルーシーに声をかけ、寄り添う気持ちもある。
フランチェスカが夫と買い物をするのを雨にずぶ濡れになって見つめるシーンは胸が締め付けられ、バックミラーにペンダントを懸けるところもなにか儀式のようで、苦しくて叫び出したくなるのに微かな怒りも感じました。自分と夫をずぶ濡れで見つめる俺を見せつけてくるところがアーティストでした。
寝取られ夫であるリチャードは、妻がいないと眠れないかもと言ってしまうような人です。
四日間家を空け、帰ってきたら妻が美しくみえたとしたら何を感じただろう。車のなかで妻がいきなり泣き出して、「お腹が痛いの」とか「悲しいことを思い出したの」と言い訳もしてくれない状況に何を思っただろ。バックミラーに掛けたペンダントはフランチェスカしか気づかなかったのだろうか。
人生の最終章で妻に「夢と違う人生を歩ませたね」と言う夫は本当に何もわかっていなかったのだろうか。
フランチェスカはロバートと一緒に生きることを選ばず、家族と暮らします。
昔の私はそれば夫に対して失礼じゃないか!と思ったものです。ですが今はそう思えなくなりました。自分が駆け落ちしたことで、夫も子供も愛されてなかったと思ってしまうことに耐えられなかったのでは?いままで気持ちを重ねてきた夫がこの町では女房に逃げられた男のレッテルを張られたくないのだと感じました。
また田舎町では魅力的に感じるロバートとの生活、非日常が日常になったあとの不安があっで、慣れ親しんだ生活を捨てれなかったように取感じます。死んだあとは夫の隣で静かに眠るのではなく、灰になって風雪に翻弄されどこかへ飛んでいくことを望んだフランチェスカにとってリチャードは夫というより庇護者になっていて甘えていたようにも感じました。
母の四日間の記録を読んで、彼女の子どもたちはメッセージを受け取りました。
ひとりは自分の妻に「今の人生で不満はないか」と聞き、愛を伝えます。
もうひとりは自分をないがしろにする夫に別居したいとを伝えます。
2人とも大変なことはあるだろうけど、明るい顔をしていました。
母も娘も似合っていなかったドレスにはどんな意味があるのだろう。
今の私にはわかりません。意味などないのかもしれません。
それはもっと年を重ねたらわかるのかな。
ロマンティックなシーンで「なんでこの季節に暖炉を焚いてるの」と気になり出したり、ロバートの焦げたトーストが焦げのないトーストに変わることに気を取られてしまう私は恋愛は向かないのだと感じました。
フランチェスカ( メリル・ストリープ )は遺体を火葬し、散骨すること、生前に記したノートを息子、娘が読むこと等を遺言していた。ストーリーはこの二人がノートを音読していく形式で展開する。
家族が4日間、家を開けることになり、フランチェスカは暇になるだけでなく、この異郷での
うつろな心に空しさを感じる。そこへカメラマンのロバート ( クリントン・イーストウッド ) がトラックで乗り入れて道を訪ねる。フランチェスカは丁寧に説明し、心ときめく。何の気兼ねもなくロバートのトラックに同乗し、屋根付き橋まで案内する。そこで享楽の時を過ごす。また彼を食事に家へ招く。少し無防備と思えるが、こういう事は60年代のアメリカでは普通にあったのであろう。自然の流れとして、親密度が加速して情事へと移行するのに時間はかからなかった。フランチェスカは自己のうちにうちに秘めていた " 女 " としての情欲に目覚める。肌と肌を触れあっていた二人は一線を超えてしまう。彼女は夫にない魅力に惹かれたのかもしれない。意見のすれ違いが一時あったにせよ、二人は分ちがたい仲になっていた。だがロバートが駆け落ちを促したが、彼女は家庭と家族を背に負っていることを知る故に、踏みとどまる。最後の日、ロバートは去る。家族が帰ってきたからとはいえ、彼女の心はロバートに就縛されたまま。フランチェスカの生涯で最も情念の炎に焼きつくされた4日間であったといえる。