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許されざる者(1960)
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許されざる復讐
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許されざる者(1992) Comments (20)
グラントリノやアメリカンスナイパーで受けた衝撃のせいで、マニーは自ら殺されに酒場に行くんじゃないか?と勝手に予測した結末。予測は全くお門違い。この作品以前の一般的な西部劇のセオリーや、イーストウッド出演作のパターンを知っていれば、異色の西部劇であるということがすぐわかったのでしょうが。
あれ?悪い奴殺しちゃうんだ?あれ?しかも、宿の主人から殺っちゃうんだ?と、別の衝撃を受けたラスト。
見終わって、しばらくしてから理解したのは、これが、以降に氏が生み出す名作のスタンダードを示唆しているということ。
人を殺すとはどんなことか、のリアル。
過去の過ち、または、昔取った杵柄に捉われる主人公。
正義と罪の境界線。
二度観て、やっと、名作と言われる所以、シンプルなストーリーの中に散りばめられた細かな演出の伝える意義が少しわかった気がします。
一つ気になっているのは、モーガンフリーマンを起用した意義。南北戦争直後に、あの立ち位置での黒人のガンマンの存在がどれだけ一般的だったのか、知りませんが、ネッド役は意図的に、黒人起用したように思えてなりません。見せしめの暴力の後に生きて返されたイングリッシュボブに対して、あっけなく殺されたネッド。1880年代を描きながら現代社会の闇に対する批判やメッセージが、そこには込められているのかも。作品が公開されたのは、LA警察によるアフリカ系アメリカ人への暴行事件の直後。ジーンハックマン演じる保安官のモデルは、その問題の警察官だとか。
などなど考えると、何度か鑑賞を重ねてこそ見えてくるものがある、深い作品なのだと納得させられます。
クリントイーストウッドの作品を何本か借りてきてみ始めたが、この映画はダーティーハリーの西部劇版、Make my Day や Do I feel lucky? Well, do you, punk? などハリーの使った流行語がこの映画にぴったりだし、差別用語も出てくるし、、、、途中までみたけど、嫌になった。グラントリノを見た後にこの映画を見たので、結構疲れた。
この映画を見るのを休み、BBCのクリントのドキュメンタリーを見た。このクリント監督は有名だが、あまり俳優として活躍した時をマカロニウエスタンの俳優でしか知らない。黒澤明の『用心棒』をリメイクしたセルジオ・レオーネがジェームズ・コバーンを使いたかったが、忙しくて契約できなかったし、契約料が2万5千ドルで高すぎて払えず、クリントに決めたと。クリントに1万5千ドルで契約したと。クリントは台本がイタリアの英語で書かれていたし、撮影の仕方も不思議に思い、セルジオに聞いたけど?そのまま続行したと。
でも、この映画で、クリントは有名になったし、これらの映画も有名な映画になったのではないか。私は映画界を良く知らないが、多分そう思う。
そして、この西部劇版、ダーティーハリー『許さざれる者』だが、1880年の話で、金がないから二人の子供を食わしていけない。賞金1000ドル目当てで、娼婦を傷つけたカーボーイ二人を殺しに行く。妻と結婚して殺し屋業から長い間足を洗っていたが、妻は三年前に他界し、豚の疫病などで、生活がニッチもサッチも行かなくなり、昔の殺し屋仲間と共にワイオミングのビッグウィスキーという町に出かける。子供二人に、『食べ物がない時はチキンを殺せ、病気とそうじゃない豚をわけろ。困ったら、ネッドに相談しろ。二週間家をあけるから。』といって、父親のマニー(クリントイーストウッド)は出かける。当時は、子供だけをおいて行ったんだ?馬で二週間でカンザスからワイオミングまで往復することができる?ネッドはマニーと一緒に組んでワイオミングに行く。子供は?ネイティブアメリカンのネッドの奥さんとマニーは面識かなさそうだったし、などと思いながらみていた。おいていく二人の小学生ぐらいの子供が気になってしまった。ひとまず、勧善懲悪映画だと思うから、マニーは子供のところに死なないで戻ってくるだろう。でも、ネッドは?などど思った。(11/23/20)
キッドという青年が持ちかけたカーボーイ殺しに出かけるわけだが、この道中から最後保安官を殺すまでの行動のなかで好きなシーンがある。一つだけ書くと:
キッドは今までに五人殺したと粋がっていたが実際のところ人殺しをしたのが今回初めてで、木の下に座ってアルコールを飲みながら、過去の話をマニーにする。マニーは『飲め』というが、キッドの心の中は罪悪感に悩まされる。もう人殺しはしないと賞金を持たされ帰っていくが、この傷はキッドの心に一生残って悪夢に取り憑かれてしまうかもしれない。人殺しからすでに足を洗ったネッドは銃をもつことに恐怖感を感じ、パニック症候群になってしまう。岩陰から銃の引き金を引くことができず、動けなくなってしまっている。それに、マニーの動きや考えかた、それぞれ、三人三様の描写が良くできていると思う。
そんな世の中では自分の信念こそが大事になる。
主人公のマニーは死んだ妻と子供達と友の為に正義を掲げて信念を貫く。
ある意味難しかった。現代の日本人には主人公の行動が正しいのかどーか・・・。
それにしても老いて尚輝くイーストウッド!
俳優としても監督としてもカッコいい!
観ると何か心に刺さる。信念を感じる。
今、見てわかること、たくさんある。
西部劇は、私はマカロニウェスタンが好きでそういうものを一昔前に結構見ていた。一方で荒野の七人とかそういうのはあまり記憶にない。
そういう自身の経歴というかフィルターで見ていて新鮮だったことがある。これまで悪党が暴れるというのは普通に見受けらたが、同時に無秩序な世界というのが、なんとなくではあるが前提に合ったような印象を持っている。
対してこの作品では、保安官という存在を通して秩序というものが強く印象付けられている。しかしその保安官こそ悪党だと、主人公は言い放つ。
通常であれば正義の味方として描かれるはずの保安官が殺されることにどんな意味があるのかと見ていて感じたのは、正義とか悪党とかという立場よりも、平気で人の尊厳を踏みにじるような真似をするやつに対する怒りがこの映画を下支えしているということだ。
だれにだってプライドがある。娼婦にだって、主人公の相棒にだって、どんな人間にもある。そこをないがしろにしたからこそ、ライフルが火を噴いたとみていて感じる。